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というわけで太平洋の反対側にいる一ドラマーのわがままを訊いて下さった里恵さん・木内さんご夫婦のおかげでこのコラムを始められることになりました。
今住んでいるNYで感じた事を勝手に書いていく、わけなのだけれどもやはり人生最初の20年を過ごした東京にまつわる事も突発的に書きたくなると思います。 帰る度に些細な変化に驚きつつもすぐ馴れて、それでいて訳わからんところが多いなぁとなる東京。未だに緊張して道を歩きつつ、行くところによってすぐ観光客みたいな心境になるNY。良い感じに気ままにやっていきます。 英文・和文両方で書いていきます。対訳の時もあるし全く独立したコラムも時もありますのでどちらもよろしく。 Thanks to Mr.and Mrs Kiuchi, I can now share what happens to me here in NY and what I remember from my stay in Tokyo with you who visits this site. I will write this colum as often as I can in BOTH English and Japanese. Sometime I will translate what I wrote previously and the other time I would just write a new story in either language. I decided to do so because at this point, I could describe some experience more honest with the language I used at each event than the other. What can I say? 2002/04/25(木)Would you be interested in modeling?
うそでもでっち上げでも夢の中ででもなく、ある日こう声をかけられた。
その日は霧のような雨が降ったり止んだりするうすら寒い日だったので傘代わりに、といってはなんだけれどフェルトの黒い帽子をかぶっていた。唯でさえ普段から太いフレームの色つきレンズ眼鏡をしているので人相ははっきりしてなかったはずだ。最初この2アイテムに声をかけてるんか?と思ったりして・・。 CD売場のジャズのセクションで薄茶のスーツを着たお兄ちゃん(細〜く刈り揃えた髭面)は礼儀正しく、しかしそそくさっと名刺を渡し、行くべき時間と場所を告げて去った。 ここから先は完全に自分次第である。世の中そんな上手い話はない、なんて言い出すだけで赤面モノだ。しかしその日その時間、一時間くらいは都合がついたので、つくづくオレもヒマだなぁ〜とぼやきつつちょっと「疑似体験」してみよう、と決めた。 (明日に続く・・) 2002/04/26(金)モデル騒動その2(昨日の続き)
名刺と剃り髭にいちゃんの言葉にあったとおりそこはスカウト屋さんだった。その収入はエージェンシーやクライアントからでなくモデルから来るのである。「2−3千くらいの顧客が随時チェックしている」ウェブサイトにそれなりの写真付きでモデル若しくはモデルになりたい人を有料で登録してあげるのだ。
まぁどっかから儲けないとなぁと思いつつ待合室へ。さすがに十代後半から二十代前半の女性が圧倒的に多い。僕に声をかけた末端の(或いはパートタイムか?)のスカウト達に予め割り振ってあるのだろう、ニューヨークの縮図というふうに色々な肌の人がいた。 思ったよりアジア系が少なく、モロ黒髪黒目!の男は僕だけだった。そのせいなのか或いは予め「こいつなら登録料払うぞぉ。」と思われたのか特定の面接部屋が空くまで少し待たされた。 働いている人達にも様々なバックグランドをした方々が居たが、彼らの振る舞いには一様にいわゆる「NYの業界」のにおいを漂わせていた。何かジョークを言ったり、'That's cool! Yeah!'なぁ〜んて彼らが言えば言うほど「プラスティック」という言葉にまつわる2〜3のイメージが浮かぶ。西海岸に行ったらもっとこの傾向が激しくなるんだろうなともフト・・。 実際の話何もふんだくられてないし(時間は取られたけど)個別面接で貰ったパンフにしっかり値段を明示してあったので文句をいう筋合いは無い。商売はどこかから金を持ってこなくてはいけないのだし。ニューヨークに限らずどこにでもモデルになりたい、役者になりたい、そしてそう、ミュージシャンになりたいという人間はいるのである。ただ、これだけそういう人間が集まる要素があるNYみたいな所だとちょっとその願望に応えそうなモノに値段をつける商売が結構できるのだなと今更ながら確認したわけである。 もし誰かにどうしてNYにいるのか?と訊かれたら僕はここで創られている音楽とここで演奏する環境が好きだからと答えるだろう。これだけ世界中の富が集中している所だ、それに対していつもクールにしているじゃない。まだ今までの人生で圧倒的経済力の恩恵は浴びたことはないけれどこれだけ自分の好きなことばっかりやっている人間(僕のことですけど)を五体満足に生かしてくれているNYてやっぱり凄いところだなと思う。それに感謝するためにももっと良い曲を書いていい演奏しないとなぁ・・・。 2002/04/27(土)カブト虫の車
今朝仕事先から帰ってくる時、バンドリーダーのおっちゃんに駅まで送ってもらった。車は彼が叔母さんから引き継いだ、オリジナルのヴォルクスワーゲン・ビートル。
子供の頃見た外車の中で形を最も鮮明に思い出せる車である。実際に乗ったのはしかし今日が初めてだろう。今のビートルは何回か乗ったことがあるのでそれと比較すると、中はこぢんまりとしている。僕でさえそうなのに運転しているバンドリーダーは身長180センチ体重90キロのおっちゃんだからさぞ運転席はせまかっただろう。 1960年代の限定版らしく車体は独特なメタリックな水色だった。中に入って思ったのが一つ一つの部品の内、あるものはとても大きかったり厚かったり、またちがうものはやたらと小さかったりしていた。鉄やプラスチックの強度が違うからそういうことになるのだろう。あれだけ身体にピッタリとくる座席の斜め前にある開閉式の小さな窓(ドアの端にある)を開けるとスピードを出すことより乗っている時間のクオリティーを追求した車なのだなぁと思った。 ロボットのような格好に取りあえず丸みも一応付けときました、という今時の車の中でこの旧式ビートルが走っているのを見るの何かホッとするものがある。 2002/04/29(月)想い出のコート
このところのNYの気温は上下に揺れまくっている。季節はずれの暑さ寒さは
実際の気温以上に差が激しいと感じさせる。最近はあまり寒くないのに用心で
ダッフルコートを着て外出したりする。
この薄い抹茶色のダッフルコート、高校2年生の頃、制服の上にこんな色のを着ている人はお前だけだぁ、遠くからでもそのでかい頭と一緒にすぅぐ平川だってわかっちゃうもんな!と言われた。もう15年以上も前である。 アメリカに来て最初に住んだのがボストンだった。防寒という点ではダウンジャケットが一番なのに最初の冬にわざわざ日本の実家から送ってもらった。それ以降このダッフルコートと10回近くの北米の冬を越した。ボストンほどでないけれどニューヨークの冬もきっちり寒いからこのコートを着る時期はかなり限られる。 未だに裾の長いコートはこれしかないのでスーツやタキシードを着ていく仕事の時によく着た。そういう時は楽器入りのケースを肩にかけて運んだので胸の両端がかなり擦り切れてしまった。そう思って注意して見ると裾も擦れている。袖の内側がほつれているなぁ・・・。これはもうおさらばかなぁと思いつつオレンジ色のアクリルシャツと白いセーターの上にこのコートを着ていたある日、当時のルームメイトが着合わせをえらく褒めてくれた。その後彼女は繊維関係の会社に就職したので見る目があった人だったのかなぁと勝手に思った。因みにこの組み合わせを褒められた日に1年半近くつき合っていた人にフラれました。やれやれ・・。 2002/05/01(水)ジャンクな日々
部屋の中はまだ寒いけれどしっかり五月晴れの一日となりました。冬の間の暖房が充実している(偶に、し過ぎ)NYのアパートでは春先・晩秋が最も冷え込む季節となり、風邪をひくのもこの時期がいちばん、である。
で、ジャンク。 個人的にジャンクフードの定義をさせて頂くとですね、 1 消化するのに過剰なエネルギーが要る 2 空気に散々触れまくった油の含有率、『高』 3 生鮮食品の含有率、『低』 ということになります。かなりあったり前で申し訳ないけれど、3から1へ辿っていくとそっくりそのままジャンクフード生産者の思惑と一切合切これ合致となる。つまり鮮度を気にしなくて良い材料を油でもって何回もごまかしつつ調理し(ここで料理というと良心が咎める)みんなのお腹を満たす・・。 この尺度で考えてみると何もファーストフード・フランチャイズメニューだけがジャンクではないのだ。 例えば昨晩。 僕は夜7時--2時で実質ぶっ続け演奏の仕事中だった。知り合いのドラマーのおっちゃんが数曲叩いてくれてる隙に近くのピザ屋へ。そこのオリジナルメニューの「メキシカンピザ」というのを注文。これは具無しのピザに挽肉・イエローアメリカンチーズ(ここでチェダーじゃないのがセコい)・ハラペーニョペパーをのせているのである。 とりあえず腹ごなしになりかなり攻撃的なその味につられ以前からよせばいいのに自虐的に貪っておりました。いつの時でもある程度そうなるのだけどこの日は自分の胃がまさに燃え上がってこの凶暴ピザとがっぷり四つ手を組んで格闘しているのを実感した。身体の中から熱がしつこく残っている感じなのである。 う〜む、この話題は言いたいことがたくさんあるなぁ。とりあえず別の日付けにまた書きます。 2002/05/03(金)風邪のいろいろ
最近まだ少し喉が痛かったりする。子供の頃は風邪をひくと大抵二つの経過を歩んでいた気がする。つまり発熱コースとそうでない場合。どっちにしろ喉・鼻・咳の順で治っていったものだが最近のはどうも順不同である。症状の程度も寝込んでしまうものは滅多にないが季節はずれの時期にかかったり、休むヒマが無くて長引くというのがつらい。
2002/05/06(月)電話かけたい
長距離電話でいざこざがあった。ローカル電話の請求書に今まで聞いた事もない会社名があった。丁度日本へ行った当日あたりに時に事が起こったみたいで要は元々の会社が業務提携先を変更する、という連絡を受け損ねたのだった。
当然こっちは知らないからもうすかさずローカル会社に元に戻して貰うように要請。そんなこんなの数日後の東海岸時間の夜更け、仕事帰りに日本へ電話しようと思ったら、なんと「現在貴方の電話からは長距離電話はかけられんのよ」という意味の 無機質に発音された英語のアナウンスとコード番号が聞こえた。 日曜の夜更けだったので大抵のカスタマーサービスはやっていないか、いても余り込み入った話はできない人にしか繋がらないので急激にぐっったりした。今時メールがあるのだからそっちで連絡して欲しかった。現にプリペイドカードに関する質問などは全てメールだったのだ。 2002/05/07(火)ビールを大勢で飲む所
今日のギグは9時半で終わりだったのでその後連れ(友達の意)がトリオで演奏しているFuelという所へ数人でなだれ込んだ。ビレッジを西から東に歩いて10分して着いたそのバーには見覚えがあった。でも名前が違うよなぁと思っていたら看板の下の方に昔の名前のPhebe'sの小さな文字があったので納得。
3rd AvenueがBowery Streetに変わる辺りの道角にあるこのバーは結構スペースが広くてロケーションもいわゆるhipなビレッジにありながらピッチャーで飲むビールがやたら安いところだった。内装がお世辞にも凝っている訳ではないこともあってかいつも学生達が大勢で連んで来ては騒がしく飲んでいるようなバーだった。 いっそビアホールと言ってもいいようなここに僕は何度か友達に連れていって貰った。その時はまだボストンに住んでいる時で、連れて行ってくれた友達はそのつい1−2年前まではバリバリのカレッジキッズ・インNY!だったのでボストンの学生とはまた違った雰囲気が面白かった。もっとも大して違うことをしたわではないけれど・・屈託なく次から次へとバドワイザーやクアーズライトなどをプラスチックのピッチャーでガバガバ注ぎながら大声張り上げて喋りまくっていた。余り文字にしたくないようなスラングを覚えたり、野郎どもがウハウハ状態になる"body shot"を初めて経験したのもこのPhebe'sだったような気がする。 そんな記憶を三秒くらいかけて思い出しつつ今はすっかり改装され、雰囲気も値段も大人になったFuelに入った。そもそも10年以上一緒にバンドをやってきた連れのギグに行ったのだからありがちではあったがこの晩はもう一人のバンドの連れが遊びに来ていた。ギタリスト・ソングライターのこの連れはNYはスタッテン島出身で彼の双子の弟とともにボストンの音楽学校で知り合った。自分と同じように一回普通の大学を出てから音楽を勉強したという似たような境遇が原因かどうかしらないが妙にウマが合い、夏休み中ロングアイランドに住み込んで一緒にバンドやったりNYに移ってからも何枚かCDを作ったりした。 「なんだよ、こっちには顔を出しておきながらオレのギグには来ないんだぁ・・?」なぁんていうことを僕が口に出して言わなくても既にニヤニヤしていたスタッテン島の連れはしばらくしてからトリオ演奏していたピアニストの連れに(彼も同じバンドでした)一曲リクエストした。 何年か前に作ったCDの中に入っている爽やかなそのバラードを違う歌声と違う楽器編成で聴きながら「大人向け」の見た目になったこのバーの、以前は絶対に無かったビロード張りのカウチに座ってハンバーガーとポテトを頬ばった。バーガーセットに$10かぁ、でもオリーブが付いてマスタード持ってきてくれたからいいや、等と思いつつ自分は上っ面だけでも果たして大人になったんだろうかと考えた。分かっているのは確実に年をとっていることだけだ。まぁ誰でもそうなんだけれど。 2002/05/08(水)ここはどこ?
ずいぶん久しぶりに電車で乗り越してしまった。70年代・80年代のNYで住んでいた人から怒られそうだ。お客さん、もう終点ですよ!などと言ってくれる車掌さんはここにはいない。終点といったら人生の終点に行きそうで恐い。まぁ唯一の救いは「私はダレ?」にはならなかったことかなぁ・・。あぁ頭痛が痛い・・。あと2時間後には演奏している筈、なんだよなぁ・・。ウ〜ン。
2002/05/10(金)代用品にしたい・・
昨日はまた一晩中演奏していたので途中隣のアジアンレストランからスープをテイクアウトした。仕事に出掛ける前から今日の晩飯は・・と思っていたら丁度コーヒー豆を入れておいたタッパーの底が割れていたいたのを思い出し、じゃぁスープにしてその容器を持って帰ってそれを再利用すれば環境汚染に少しでも抵抗できるしな(?)、と計画して仕事場へ。
その隣のレストランはタイと台湾とヴェトナムの複合メニューを持っていて内装は笹の葉・竹竿付き池がある、というまぁアメリカ人が一見してオーエキゾチック!となるものだった。で、そのスープはココナッツミルク入りのスパイシーチキンスープの中に春雨のようなヴェトナム緬が入ってそれなりに美味しかった。のだが持ち帰ったタッパーを見てみると、蓋に明らかに錐かなにかで空けた小穴があった。フトなんじゃコレは?の顔をしてしまったが、0.5秒後に、これは熱いスープだからしばらくすると容器が膨張する事を考えて、だなと思った。何となくアジア的配慮と感じたのは自分だけだろうか?ううむ、しかしコーヒー豆は密封したかったのだけれどなぁ・・。 2002/05/16(木)2年振りの興奮タイム
今日はスターウォーズを映画館で観た。仕事後の5時間睡眠を押して朝11時に行った。公開初日だったけれどクイーンズの映画館でマチネだったので$5.50でそんなに混み合っていないという日本では考えられないシチュエーションだった。最近は日米同時公開の映画も沢山あるからその点で、それから普段のマンハッタン住民に対してのロケーションでのコンプレックスという点でちょっといい気分であった。(せこいなぁ)
内容はというとさすが最新作、あらゆる最新技術で創ったセットにはただただ圧倒されっぱなしだった。制作費がモノをいっているのがよく分かったがそれだけでなくスターウォーズ全編に渡ってのストーリーラインがしっかり作られているとも思った。架空のものをあれだけすごくリアルに撮っているで敢えて気が付いたのは処理したキャラクターの動きの中で明らかにCGで処理しましたというのくらいだろうか。観る方の眼もすっかりそういうものに馴れているからこれはしょうがないかも。 今回と次回はその後のストーリーを皆が知っているのだからその上でおもしろいものを作るのは簡単ではないだろう。願わくばジョージルーカスが生きている間に全編完成してもらいたいものである。 ここで敢えて言いたいことが一つ。確かに映像技術ではスターウォーズ中3部作は最近の2編そしてこれからの4編(必ず創られるとして)と比べると笑ってしまうものかもしれない。ジャンル的にこういうところが売りなのだからそれはシビアに受け取られるというのは充分承知なのです。でもあの最初のスターウォーズを僕は日常のアメリカを知らない日本の子供として観ていた未来のおとぎ話として観ていた。あの時の不思議な夢みたいなものは新作を観ても忘れられないだろう。あれは未知の国の人が作った未知のお話だったのである。住んでいる今でもアメリカは未知のところが多いけど・・そんなこと言ってたら日本もそうなのでこれはキリがない。 個人的にはスターウォーズから何か直接衝撃を受けてメカや特撮に凝ったりはしなかった。その辺は日本のウルトラマンやマジンガーZ辺りですっかりハマッてしたのでもう満腹だったのかもしれない。結果的に高度成長期後半のしかも団塊世代、学生紛争後の日本で生まれ育ち、物質的にも社会的にも安定した環境の中でそういう夢物語に想いを馳せていた自分はすごく恵まれた子供だったんだなぁとつくづく思う。こんな子供時代を送った人間だけどやっぱり表現したい何かは、ある。ハングリーじゃないかもしれないし、他人からすれば「えぇ〜本当!?ウッソ〜!」というネタもあまり無いかもしれない。でも何か人に伝えたいものがあるのだからおもしろい。 2002/05/20(月)とりあえず、麺
久しぶりに自宅近くの韓国スーパーで買い物をした。大抵買う物はもう決まっていて
キムチと薄切り豚肉はまず欠かせない。今回はパッケージの盛りつけ例でそそられ、韓国風甘味噌ソバを発作的に購入。
数日後に成分表示表以外全てハングルで書かれているのに気が付いた。ちょっと頭ポリポリ気味だが麺も具もレトルトパックに入っているので作れない訳はなかった。唯一不明だったのは麺の茹で加減。そもそもこの麺は茹でるのかそれとももうそのまま食べられるのかさえ定かではない。ラーメンならそんな疑問は起きないんだけれどこれはジャジャーみたいにドロドロの味噌がかかっている。正直言って熱くするのか冷やすのかもわからん・・。最近焼き肉屋で冷麺がマイブームだったのでこの麺にもイザとなったらキムチ混ぜ混ぜ攻撃で乗り切ればいいか、と開き直った。 でお味は・・甘くも辛くもなく少しの塩味と苦味の入った素朴な味だった。日本のに近いけれどちょいと違う椎茸みたいな具が入っていた。ここまで中華(この場合日本のね)・大衆和食に味・形態が近いとあとはもうかつをダシ・昆布ダシが入っているかどうかが国籍の分かれ目ところのような気がする。 以前日本の雑誌で横浜の老舗の洋食屋の記事を読んだ。その店はハヤシライスの草分け的存在であるらしく、あるグルメの人がその味を再現しようと本格デミグラスソースを色々試すのだが一向にその洋食屋さんの味にならない。とうとう降参してそこのご主人に聞いたら、詳しい分量は秘密だが醤油・味噌が入っているそうだ。これを読んだ時日本で食べる料理はかなりの割合で日本人向けにアレンジされているのだなぁと思った。 これからはしかし日本人の好みと言ったって変わるのだろうけれど、個人的には醤油味・かつを・昆布のだしは当分飽きないだろう。油や甘み抜きで美味しく食べられる数少ない調味料だし。一般的にもっとアメリカ人がこの味を受け入れたら少しは肥満が減るのではないかな。それとも塩分取り過ぎでそれはまた問題になるかもしれない。 2002/05/21(火)普段と違うお客さん
今日も今日とて人前で演奏したわけだけれど、今回は地域の病院の催し物だった。NYCから北へ1時間半ほどのPutnam County の小学校の先生方が主催していたこともあってお客さんの大半は小学低学年の子供達。
みんなが知っていそうなビートルズやモータウンのヒット曲を休憩を入れて約2時間 演奏した。内容はいつも大人たちの前でやるのと大差ないけど一応あまりにも アダルトな歌詞の曲はパス。でもやっぱりラブソングとかもやるのだけれどその目の前でキッズ達がでんぐりがえししたり両手つないでビュンビュン回りまくっているのはおかしかった。生身の人間がすぐ近くで音を出しているが嬉しくてしょうがないのだろうなぁという感じだった。 思春期前の子供達や精神的に若干障害のある人達の前で演奏したことは以前にもあり、いつも最初の一音を出した途端に身体を動かし始めていたのが忘れられない。そんな時本来人間は気持ちいいリズムやメロディーを聴けば自然と身体が動くものだと思わざるを得ない。そこに「恥の文化」なり「自制心」、そして「先入観」が入るとおかしくなるような気がする。 人間恥知らずほどみっともない奴はいない。恥が無いから人の物を盗んだり傷つけたりするのだから。自制心なく欲望の導くまま生きるのもえらく困った事になる。大人になる、とはその辺のバランスをしっかりするということだけれど、それだけでは息詰まる。こんな事があればいいなという作り話を映画や文章、綺麗だなこれ、というものを絵や彫刻、そして良い音色に音楽を通じて触れると自分を解放したり刺激したりする。その時どれを選ぶか、そこに個人の性質が反映される程「自由」になる。他人の自由を尊重した自由、これを実行できる社会は素晴らしい。 2002/05/22(水)昨日(5/21)の分を書いてから
思い出したのは高校生の時図書館で聴いたアフリカの音楽だった。確か「世界民族音楽大全集」だったと思う。バリ島のガムランやブルガリアの変拍子ダンス曲などを聴きまくっていたのだ。ドラムやるのだからやっぱりアフリカは外せないよなぁということで
かなり細かくセネガル、ギニア、モザンビークなど地域ごとに分けて聴いていた。
その中にピグミー族の踊りの音楽があった。太鼓類歌声のみで基本的に6拍子のリズムだったと思う。
その頃僕ははまだ音楽のことをろくに知らなかった(今でもどーだか?)けれどとにかくそのリズムは生きている者としてもの凄く「正しい」リズムだと感じた。少し変な言い方になってしまったけれど要するに機械で計って正しいものとは違い、生身の人間だから分かる心地よさ、刺激があったのである。 当時僕は一歩も日本の本州すら出たことの無い15-6歳の子供だった。別に鎖国中の日本ではないから情報もそれなりにあったから国外の音楽だって聴いていたけどどれが良くてどれがしょーもないとかはあまり分からんままだった。そんなガキにもこれは凄い!というかこれだよこれ!と思わせる音は殆どの人類に訴える何かを持っているのではないだろうか? さてここまで書いてなんでこのような事を言っているのだオレはとフト思った。それは「先入観」についてだった。先程書いた通り高校生の頃の僕の音楽に関する情報はもの凄く限られていた。戦後40年近く経った東京に居たのだからレコードは周りに幾らでも売っていたし貸しレコード屋もあった。ラジオ、もね。只その溢れる程のミソもクソもひとまとめに聴くのは時間的にも経済的にも不可能だったから自分なりに選ぶしかなかった。自分よりジャズのことを知っている友達に勧められたレコードを聴いたり頻繁にラジオから流れてくる曲が入っているアルバムを貸しレコード屋から借りたりした。ただこうやって音楽を聴くだけだったら趣味でいただろうけれどなんだかんだと四六時中演奏する身になって思ったことが一つ・・一体現在どれだけの人がそういう手間暇をかけて音楽を聴いているのかなということである。 別に歌を選ぶのにうんちくは要らない。でも普段何気なく耳にするものが大企業(そう、半端じゃないお金儲けを一生懸命する団体ね)のうんちくで選ばれた歌だったらどーする?または誰か有名人と関係あるとか、何処か有名な場所で歌った演奏したなんてことで人から薦められたらまぁまず聴くでしょう?そこに一体個人としての好み、がどれだけ反映しているか、結構主観的なトピックだ。 個人的にはクラシック音楽を筆頭に伝統のあるNYのCホールで日本の公民館レベルの演芸会が行われてからそのホールはどーでもよくなった。これは何も聴く側だけの問題ではない。むしろ人の手間暇を代行して選んであげますよみたいな面をして法外な金を取り、さらに付加価値をつり上げようとする売り手が元凶な気がしてしょうがない。さらに虚しいのは伝統とか権威も金で買えてしまいその結果世に出たものが本物かどうかあまり理解されていないということだ。 2002/06/04(火)今日は他の人のここNYでの体験談です。
夜勤を終えタクシーを拾おうと友人Nは信号待ちのイェローキャブに向かって手を挙げた。キャブとNの間には乗用車がこれまた信号待ち。よーいドン!てな具合で走り出すのはNYじゃぁよく見る光景。しかし、真横で同時に走り出した車の【前】を横切って強引に歩道に着けるのはここNYでもかなり、ムチャです。
そりゃそうだろうとの予測どおり、そのキャブの後部バンパーは見事に乗用車の先頭に接触。ドライバーが絶叫してカンカンになって自車から飛び降りたのは言うまでもない。Nの証言によると、ぶつけたキャブの運ちゃんA、怒りまくるもう一方のおっちゃんの声と姿でおもむろに窓を開けて後ろをゆぅっくり見ての第一声が、"Oh, I'm not wrong!" ・・・直訳すれば「オレ、悪くないもんね〜」だった。If you aren't, whose fault is that!? Wadda matter wichu!? (What is your matter with you?) 世界には色々な価値観がある。自分の過ちを認めたその時点で、も〜煮られようが焼かれようが文句なし!という社会があることは知っているし、そのマイルド版だったらNYでイヤというほど遭遇している。しかし、だ。これはこの街のレベルでも充分自己中(事故中でもある)だろう。 こんな具合に自分の所に着けられてもそのキャブには乗りたくないNは仕方なく別のを探した。真夜中近くのアベニュー沿いだからすぐ次のに乗れたが、今度は走り出した途端、運ちゃんBは「ちょっとお腹が空いたから待っててね〜」とNに告げ3ブロック先の混み合うシシカバブベンダー(牛肉串焼き屋台)へ車を止めてスタスタと行ってしまったそうだ。自分だってお腹空いてるのにー!状態のNは、それでもどちらか言うともー早くおウチ帰りたぁぁい状態が優勢のため、割とすぐ帰ってきた運ちゃんに文句を言わずにいた。 やおら運転再開、しかし片手に串焼きを持ちつつ、待たせた分を埋め合わすかのように時速80キロくらいですっ飛ばしてくれたらしい。断っておくとハイウェイでは、ない。信号も50メートルおき位にはある、街中です。9/11以降タクシー業界だって打撃を受けて客足が減っているだろう。効率良く稼ぎたいのは解る。個人的にはドラムセットも一緒に乗っけてくれるNYタクシーには感謝感激なのであります。でも事故を起こしたらそれでお終いである。この状況でNが無事に帰宅できたのは「運ちゃん、そぉれ危ないからやめろ〜」の筆頭「携帯電話でお話し」が無かったからだろうか? 2002/06/12(水)Masquerade!
今週のうち今日が唯一なぁ〜んも仕事が無いオフだったのだけれどまた夜な夜な出掛けてしまった。普段から一緒にプレイしているギタリストの友人TD(35)がちょっと変わったバンドとちょっと普段は行かないぞというクラブでライブするというので開始予定の30分前にクイーンズの自宅をノコノコと出たわけである。
場所はE11St.のウェブスターホール。4階建て大小ラウンジ数5−6のこのクラブは普段からイーストビレッジの派手めのセンスで固めている所だ。この晩はそれに輪を掛けるかのようにテーマ付きパーティーだった。貰ったチラシには"Imperial Orgy - Erotic masquerade ball" と書いてある。んーと、えーと、いやまぁ数年来の友人のTDも別にメインのバンドだけじゃなく、イベントがとてもオカシイから見に来いと誘ってくれたのだろう。そーいうことにしておこう・・。 Imperial〜という名前のそのバンドの事は彼から以前からよく聞いていた。お互い最近どんな仕事やってんの?とかいう話をしているとTDはたまぁに"I'm playing with that dick band next week at 〜" とため息と薄ら笑いの混じった表情で言っていた。dickってやっぱりアレだよなぁ。なんて思わなんでもバンド名とコスチュームを見れば一目瞭然。会場全体がそんな感じになっていたから、やっぱりお面を被って来ればよかったかなと少し後悔。 手首にテープを巻き付けてもらって入場していきなり褐色の肌の女性が赤いロープで縛り上げられていたのにしばし唖然。頭を軽く振った時にすれ違った男性は革パンツ着用しかも白いお尻はくっきり露出なさっていた。そーいうボンデージ系だけでなく、ボディーペイントやドラッグクイーン系の仮装を楽しむ女性などバラエティーに富んだ内容だった。感覚的には真昼の太陽の下でヌードを見ているようなもので、確かに目の前には普段お目に掛からない人間の一部が動いているのであるがそれをみてすぐ興奮するかというとそれはどーだか?ストリップバー化はしていないので性器は勿論その他の箇所も露骨に出して居る人は殆どいなかった。(ゼロじゃないのだけれど・・)言葉と仕草で普段より少し気合いを入れてセックスのことを表現しているようだった。そりゃぁ意年中こんなじゃイッているけれど、あくまでパーティーのだ、公の場なのだ。だからなんだと言われても困るが、陰でコソコソ、より'Look at me!'の要素が強かったデスネ、この会場では。 で、前出のバンドである。メインフロアのメインステージ上、派手色の革のファッションショーの後全員が鉤鼻のお面・ラメ入りシャツ・白い羽毛フサフサ帽子、光るペンダント等を着て出てきた。(スモークもあったかな?)友人TDは奥さん・家族・友人の声援と期待の手前、予告通り特大ディルドーを額にくくりつけ、"I"m your dog! And what's wrong with thaaaaaaat!!"などという台本のセリフを絶叫していた。一応リードギタリストだから何かと目立っていたが、シンガーにステージアクション中なだれかけられ気が付いたらギターのワイヤレスのどこかが外れて音が出なくなってしまったのは可哀相だった。 もう一人の知り合いEM(36)はベースのくせにギターより弦数が多い7弦を振りかざし、所狭しと駆けづりまわっていた。ベビースターラーメン的チリチリロングヘアーのEMが縦横無尽に動き回ってる・・・TDが"Don't you think this band is for him?"と同意を求めていたっけなぁ。Ya Beccha! (You bet yourself, トーゼン!てな意味) でも奴はワイヤレスでなく、そのステージにはちょっと短いケーブルを使用していた関係上、演奏中何度となく楽器とアンプを繋ぐコードがぴぃぃんと張りつめまくったのなんのって。見ている方が、「あっあっ抜ける、抜けるぅ!」とそわそわしてしまった。ん? 2002/06/14(金)タイ・タイ・タイ
ここ2週間で3回タイレストランに行った。その内2回は自宅近くのこぢんまりした食堂という感じのところだが味は素晴らしいのだ。その前に行ったところもクイーンズにあり「クイーンズ タイ」で検索するとトップで出てくるところだったのだが・・そこは期待はずれも甚だしく、キツイ言い方だが過去の栄光にあぐらをかいているのが許せなかった。ザガットなどで高得点を出しているのは5−6年前でその後なーんも努力してしとらんだろうお前ら!という有様だった。特にカレー。うぅぅ、ファーストフードチャイニーズの適当カレー風味とちがうゾ、カレー粉入れてコーンスターチで固めればいいってもんじゃないぞコラ!と心と口の中で何回叫んだことか・・。
自宅近くの店にビレッジボイス誌の記事を見て初めて行ったのがもう2年くらい前だが相変わらず本当のタイ!という料理は何時でも美味しい。(タイには行ったこと無いけど)ただスパイスの質・量ともにネイティブの方々にもO.K.とあって翌日胃腸が異様に活発になるのが悩みの種なのだった。 2002/06/17(月)修正・加筆
6/12分と14分若干直しました。
2002/06/19(水)人のしぐさ
生まれ故郷から来る言葉使いの違いを方言という。では身振り手振りの違いは何て言うのだろう?日本に住んでいた時これを意識したことは殆ど、ない。世界基準からして日本人は会話中の動きが少ないだけに、同じ日本語を話していて気が付くような仕草は、それはもう、あんただけよそんなことするのはさぁ、とゆーように個人的なものだったよーな気がする。
この広々として比較的唯我独尊かな?という米国出身者には色々な話し方・身振り手振りがあるわけです。例えば文化的背景と身体の造りがモロに反映する、歩き方。以前、ネイティヴの英語とアメリカ人らしい身振りで会話していた人が歩き始めた途端、その後ろ姿が一目で日本人だぁと分かってしまったのを思い出す。やっぱり血は争えんのかなぁともふと思ったが、二世・三世と異なる文化・習慣の混ざり具合的に色々な段階のひとがいるのだからこういうこともあり得るわけだ。猫背の自分としては胸貼って歩くアメリカ人を見習うべきだろう。そうすりゃ一瞥くれて・・段階でちょっとはバカにされたりナメられたり、が減るかなぁ。根気よく話せば分かる人、多いんだけれどね、ここ。 コラム(バックナンバー) | 2002年4月〜6月 > 2002年7月〜12月 > 2003年1月〜6月 > 2003年7月〜12月 > 2004年1月〜6月 > 2004年7月〜9月 > 以降はブログへ for more info, please email to Plainriver@hotmail.com
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